STUDENT DECISION RECORDS
INTERVIEW & TEXT
和泉 圭佑
STUDENT DECISION RECORDS
ReWrite Career が出会った学生の「意思決定」を記録するメディアです。
兵庫県で生まれ、0歳から3歳までマレーシアで過ごす。
当時のインターナショナルスクールでは輪に入れず、一人で過ごす引っ込み思案な子供だったという。その後東京へ移り、年長から小2までは千葉県市川市、小4から高校卒業までは神奈川県横須賀市で育つ。
小4で明るい友人と出会ったことで徐々に社交的な性格へと変化。中学では剣道部の部長を務め、県大会ベスト16に相当する9位の成績を残す。
部活漬けで成績は振るわなかったが、引退後に偏差値を50から65まで引き上げ、念願の鎌倉高校へ進学。高校でも剣道部に入り、再び部長に就任するも、実力トップでないことへの劣等感や怪我による挫折など壮絶な経験を重ねるが、最後までやり抜き関東優秀選手から一本を取る活躍を見せた。
現在は立命館大学の政策科学部に在籍し、国際協力団体「IROHA」の幹部および営業部リーダーとして、カンボジア支援に情熱を注いでいる。


彼がいま成し遂げたいことは、国際協力団体「IROHA」の幹部および営業部リーダーとして、カンボジアの支援先の「屋根を修繕するための100万円の資金集めに奔走すること」である。
企業から案件を獲得して団体に資金を還元したり、ピッチコンテストに出場して賞金を勝ち取ったりと、営業部としての強みを最大限に活かし、子どもたちの未来の可能性を広げる施設修繕の実現を目指している。

彼がIROHAで本格的に活動する道を選んだ背景には、大学1年の夏に参加したカンボジアへの現地派遣での鮮烈な体験がある。
当初は「海外旅行に行けるし、貧困でかわいそうな子どもたちを支援してあげる」という軽い気持ちと先入観を持っていた。
しかし、実際に現地を訪れると、子どもたちはニコニコと満面の笑みで話しかけてくれ、言葉が通じなくても心から笑い合えることに衝撃を受けたという。
「支援してあげる」のではなく、「一緒に豊かになっていきたい」という強い思いが芽生え、団体の方向性を決める幹部へと自然に足を踏み入れることになったのである。
「言葉が通じなくても、世界中の人と笑い合える世界にしたい」という彼の壮大なビジョンは、高校時代の世界史の授業と、彼自身の部活での原体験にルーツがある。
世界史で紛争の絶えない現実を学ぶ一方、スポーツの場では国境を越えて一つになれる瞬間があることに気づいた。
また、自身が剣道部の部長として劣等感や怪我などの深い挫折を味わった際、そばにいて一緒に笑い、支えてくれた仲間の存在があった。「一緒に話して、笑うこと」の尊さを身をもって知っているからこそ、現在のカンボジア支援における「楽しむ空間づくり」に深く共鳴しているのである。

IROHAの幹部として団体を引っ張る覚悟が定まったのは、やはりカンボジアの現地で壊れかけた校舎を目の当たりにした時である。
「こんな施設でも子どもたちはこんなに笑顔で遊んでいる。もしここを直したら、彼らの可能性はもっと広がるのではないか」と確信した。
この気づきが、単なる参加者から、団体の中心となって支援のあり方を決めていく立場へ回るという決意を彼に固めさせたのである。
活動において様々な意思決定を行う際、彼が最も大切にしている軸は「全員が楽しめるように動くこと」である。
サークルである以上、楽しむことを忘れてしまえば人は離れていくという現実的な視点を持っている。
だからこそ、「どうすればみんなを楽しませる空間を作れるか」を、自分たち自身も楽しみながら考え抜くことを、すべての行動の基盤としている。

現在の彼の挑戦は「営業部リーダーとして、団体に最大限の資金をもたらすこと」である。
屋根の修繕という明確な目標を達成するため、企業からの高単価な案件を獲得し、それをIROHA内の各プロジェクトに適切に振り分けていくという重責を担っている。
先輩が成し遂げたように、自身もピッチコンテストなどで結果を残し、団体を経済的な面から強力にバックアップするための挑戦を続けている。
2年後にIROHAを引退する時、彼が一番言葉を交わしたいのは「共に活動してきた仲間たち」である。
仲間から「お前と一緒に活動できてよかった」「この団体に入ってよかった」と言ってもらうこと。
それが、彼が常に「全員が楽しめる空間」を追求し、カンボジアの子どもたちと真摯に向き合い続けたことへの最高の見返りであり、何よりも嬉しい勲章なのである。

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