STUDENT DECISION RECORDS
INTERVIEW & TEXT
和泉 圭佑
STUDENT DECISION RECORDS
ReWrite Career が出会った学生の「意思決定」を記録するメディアです。
新潟県出身。
小学2年から高校3年まで陸上競技の中長距離に打ち込み、中学時代は駅伝で全国を目指すほど過酷な練習に耐え抜いた。
新潟県立巻高等学校を卒業後、「東京近郊で本格的なダンスサークルがある国立大」という条件から埼玉大学アフタービートクラブへの入会を熱望し、1浪を経て進学。
幼少期からのEXILEへの憧れを胸にダンスを始め、ガールズヒップホップで頭角を現したのち、ダンスバトルの熱狂に触れてヒップホップへ回帰。
現在はアフタービートクラブの相談役として組織を支えつつ、日本一のダンスサークル「D-mc」にも所属し、自らのダンススキルを極限まで引き上げるべく異例の掛け持ちに挑戦している。


彼がいま成し遂げたいことは、「自身の圧倒的なダンススキルを通じて、所属するアフタービートクラブの意識を高め、後輩たちに希望を与えること」である。
大学からダンスを始めた完全な初心者であっても、本気で打ち込めばここまで到達できるという事実を証明し、サークル全体に挑戦する楽しさと熱量を還元することに全力を注いでいる。

彼がサークルの枠を飛び越え、日本一のサークル「D-mc」と掛け持ちするという異例の道を選んだ背景には、自身の成長に対する強烈な渇望がある。
2年生になり、サークル内の参加率の低さや大会に対する熱量の差、練習の緩さに気づき始めた彼は、「ここに閉じこもっていては上手くなれない」と強い危機感を抱いた。より高いレベルで揉まれ、本物の技術を身につけるため、彼は自ら過酷な環境へと身を投じたのである。

「目標のためなら過酷な環境も泥臭く耐え抜く」という彼のストイックなスタンスは、小中高と10年以上続けた陸上競技の経験に深く根付いている。
1500mなどの過酷な中長距離を専門とし、中学時代はクラブチームにも所属して駅伝で全国を目指すほど走り込んだ。
さらに、高校卒業後は「どうしても埼玉大学のアフタービートクラブに入りたい」という執念で1年間の浪人生活を耐え抜いた。この「泥臭い努力で目標を掴み取る力」が、現在の限界突破への挑戦に強く共鳴している。
大学入学後、彼はいち早く頭角を現し、1年生の引退公演ではガールズヒップホップで最前線のセンターを任されるほどに成長していた。
しかし、彼の真の覚悟が定まったのは、ダンスバトルイベント「ALIVE」の決勝戦を見た瞬間である。
トップダンサーたちがぶつかり合う圧倒的なヒップホップの熱量に激しく心を揺さぶられ、「自分もバトルで勝ちたい、ヒップホップを極めたい」と魂に火がついた。そこから外部のスクールにも通い始め、ストリートダンサーとしての道を本気で歩み始めたのである。
彼が人生の選択において最も大切にしている軸は、「自分がワクワクするかどうか」そして「人と違うルートを恐れないこと」である。
新潟から東京近郊への進学、1浪という選択、そして他大学のトップサークルへの武者修行など、常識や周囲の目にとらわれることなく、自分の心が踊る方へ躊躇なく飛び込んできた。
この揺るぎない直感と行動力こそが、彼の圧倒的な成長スピードを支える根幹である。

現在の彼の課題であり挑戦は、「外部で培った熱量や技術を、どうやってアフタービートクラブに還元するか」という組織運営への葛藤である。
エンジョイ勢が多数派を占めるサークル内で、「もっと練習しよう」「大会で勝ちたい」という強い言葉を発すると、どうしても浮いてしまい孤立するリスクがある。
役職には就いていないものの、幹部の相談役として、どうすれば角を立てずにサークル全体の熱量を底上げできるのか、彼は今も模索し続けている。
大学でのダンス生活の集大成を迎えた時、彼が一番言葉を交わしたいのは、自身の原点であるアフタービートクラブの仲間たちである。
「ペーペーの初心者から始めて、ここまで凄くなったのか」と、彼らから「すげえ」という感嘆の言葉を引き出すこと。
それは単なる自己顕示欲ではなく、自分の選んだ異端な道のりが正しかったという証明であり、これからダンスを始める後輩たちへの希望のメッセージとなる。その言葉を聞く瞬間こそが、彼が青春のすべてをダンスに捧げた最高の見返りなのである。

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